耕田さんと語ったので、しつこく大西巨人『深淵』(上・下)について書きます。
作家のリアリズム的姿勢には2種類あると思うんです。
小説はリアルだからといって感動できるものじゃない。 ただ僕に言えるのは、ポジティブなリアリズムで書かれた小説はおもしろく、ネガティブなリアリズムで書かれた小説はおもしろくないということです。 『ボヴァリー夫人』も『蒲団』も、攻めの姿勢があるから感動できるのです(と僕は信じている)。 単純化しすぎていると言われそうだけど、この図式で少し考えてみたい。
もうおわかりだと思うけれど、僕が言いたいのは、『深淵』はネガティブなリアリズムで書かれているからおもしろくないということなのです。 前回僕も書いたし、耕田さんも書かれているように『深淵』の会話にはこんな特徴があります。
これは起こりそうもないことは書かない方がいいという消極姿勢の表れではないでしょうか。 ドストエフスキーみたいなドタバタ劇なんて期待していないけれど、こんなに普通の状況ばかりとはどういうことか。 こういうところでちょっとぐらい踏み外さないと、逆にリアルにならない。 僕はここにポジティブなリアリズムが必要だと思うのです。 そうしないと、ただの退屈な話になってしまう。 落ち着いた場所で、お互いの考えを完璧に言い切るなんてことは、そうあるもんじゃない。
『週刊読書人』の大西巨人=鎌田哲哉対談は、このネガティブ姿勢の証明になっているように感じます。 鎌田氏が「これはどういうことですか」と訊くと、大西氏は「君がそう考えるのがわからない。君のように考えた方が不自然だと思う」と答える。 ここには、こう書いちゃったら不自然だから書かない、というネガティブなリアリズムが働いているように思えてなりません。 ネガティブなリアリズムは、たとえ完璧に書けたとしても、読者にとっては「うん、不自然じゃないね」くらいにしか思えないものです。 僕は『神聖喜劇』の偽電話→模擬処刑を思い出します。とんでもない事件なのに、徹底的に現実的に書ききったこの場面は本当に感動的。 そこにはポジティブなリアリズムがあったと思うのです。
Posted by yatsu at March 25, 2004 12:55 AM