「知の不良債権」
Posted by yatsu Sat, 08 Nov 2003 03:13:28 GMT
「知の不良債権──批評閉塞の現状」大杉重男
(KGV ★ PINOBRICK—2003-11-06 より)
批評は価値尺度であるため貨幣と類似する性格をもつ。 そして今日の「批評閉塞」は、マルクスの「貨幣恐慌」に相当する「批評恐慌」であると見て批評しています。 『早稲田文学』2001年1月号に掲載されたものだそうです。
この着想はなるほどと思ったのですが、最期まで読んだら、結局は柄谷、浅田、蓮實、福田、東批判だったのか、という感想……。固有名へのフェティシズムというけれど、この批評自体、日本の批評家の固有名へのフェティシズムを煽ることになってはいないのか? 以下に挙げる2chのスレにあるような「浅田、柄谷、蓮實、東、スガ、渡部がどうしたこうしたってなことを喋っている暇があるなら自分の仕事をしろと言いたい」というようなことは、みんな思っているのではないだろうか。 ただし、柄谷批判、東批判はかなり鋭いところを突いていておもしろいのはたしか。
批評空間界隈のこの手の潰し合いはなかなかすごいものがある。 東浩紀氏が「敵味方を分ける戦術」といってパフォーマティブな批評を嫌うのもよくわかる。 柄谷氏があまりに権力的だからいけないんだろうなぁ。 僕自身にとっては、柄谷行人を固有名へのフェティシズム、守銭奴的に読んでいた部分がかなりあるので、この批評には反省させられもしました。
誰か、以下のスレを救ってください。
