「時間がない」

Posted by yatsu Thu, 17 Mar 2005 16:09:56 GMT

フリーソフトウェア・プロジェクトに参加していないことの言い訳 より

私が応募者に必ず尋ねる質問の一つに、 「フリーソフトウェア・プロジェクトに参加したことがありますか」 というのがあります。 「ない」というのが大多数で、 決まって 「時間がないので」と言います。 応募者はほぼ学生なんですが、 これは絶対に言い訳でしかありません。

人間は起きているあいだ中、ずっとボケーっとしているわけではないので、なんらかの活動はしている。 「時間がない」という発言の意味は、フリーソフトウェア・プロジェクトへの参加よりもやりたいこと・やるべきことがあるということだ。 就職面接のようなときに、「やりたくないから、やってません」とは、ふつう言えない。

上記の質問者の意見は、情報系の人間であったらフリーソフトウェア・プロジェクトに参加するのが良い、もしくは別の活動より優先すべきだという、ひとつの価値観を前提としてしまっているように感じる(そういう価値観の人だけを採用したいのかもしれないけれど)。 たとえ情報系の人間であっても、技術力を磨く方法や社会貢献のしかたは、フリーソフトウェア・プロジェクトへの参加だけではないはずだ。 僕が質問者だったら、フリーソフトウェア・プロジェクトへ参加しているか・いないかで人を判断するのではなく、フリーソフトウェア・プロジェクトよりもその人が重視するものの内容で判断したい。

また、学生だから暇という一方的な決めつけは、例外が多すぎて意味がないように思う。 これは「暇」の捉え方にもよるのだが。 たとえば僕は学生の頃、「週に6日剣道の稽古があるから忙しい」と思っていたけれど、これを人に言っても、「彼は暇だから週に6日も剣道の稽古をしている」としか考えてもらえなかった。

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ライブドア

Posted by yatsu Sat, 26 Feb 2005 05:57:07 GMT

昨日、友人から聞いた話。
堀江氏の、なんでも金で買える的発言は、価値があったのではないだろうか。 仕事内容における目標に向かって努力すれば、金はそれについてくる、という優等生的発言が幅を利かせることによって、個人が搾取されてしまうことがあり得る。 仕事に満足しさえすれば、給料が少ないことにも納得してしまうかもしれない。 そこで、あえて金が大事なんだという現実を再確認させたことには意味がある。
という話(内容、合ってるかなぁ)。

なるほどと思った。 これを聞いて思ったのは、僕たちは学校教育や文学の影響で、知らず知らずのうちにロマン主義的な考え方に慣れてしまっているということだ。 社会的地位や幸福を得ることよりも、個人的理想を追及することの方が大切だと考えること、後者のために前者を犠牲にすることが讚えられること、たとえ理想の実現に失敗したとしても、悲劇として賞賛されることは、現代人にとっては普通のことに感じられる。 ところがこのような考え方は、18世紀末のロマン主義運動以前にはあり得なかったそうである。 イギリスで産業革命が始まった頃にドイツでロマン主義運動が始まっているので、近代資本主義以降はむしろ、金がすべてのような発言に抵抗感が増したのかもしれない。 そう考えると、堀江氏は200年間続いてきたロマン主義的考え方を脱した人だとは言えるかもしれない。

しかしフジテレビの新株予約権によって、ロマン主義的観点からは実利的俗物だと思われていた堀江氏が、一転して悲劇のヒーローとして(ロマン主義的に)扱われることになるかもしれない。 そうなったら皮肉なことだ。

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小銭分類法

Posted by yatsu Sun, 24 Oct 2004 04:55:00 GMT

僕の財布は二つ折りタイプで、小銭を入れるポケットが中で2つに区切られています。 この2つの場所にどのように小銭を振り分けるのがよいのでしょうか?

いちばん初め(ずいぶん昔)、このように分類してました。

  • [1] 一円玉、五円玉、十円玉
  • [2] 五十円玉、百円玉、五百円玉

単純に、1の方に小さな硬貨を、2の方に大きな硬貨を入れるというやり方です。 しかしこれだと、五円玉と十円玉、五十円玉と百円玉の識別が難しいことに気付きました。 一円玉と五百円玉は一目瞭然で間違えることはないと思うので、五円玉、十円玉、五十円玉、百円玉の4つの硬貨をいかに識別しやすくかが問題です。 上記のルールをベースに、以下のようにしてみました。

  • [1] 一円玉、五円玉、五十円玉
  • [2] 十円玉、百円玉、五百円玉

このようにすると、同じ場所に入っている五円玉と五十円玉、十円玉と百円玉は色で簡単に識別することができます。 また暗い場所で色がよく見えないときでも、ギザギザを触ることで五円玉と五十円玉、十円玉と百円玉が識別できます。

実際に試してみて、ずいぶんいい感じだったので、それ以来ずっとこのルールで分類しています。 あんまりしっくり来るものだから、なんだかこういう分類をするために硬貨の色、ギザギザが決まっているような気さえしてきます。 実際のところどうなんでしょうか? こういう分類方法って有名な法則とかあるんでしょうか? 僕が知らないだけ、という気もします。

ちなみに上記のルールにはちょっとした落し穴があります。 たぶんお気付きとは思いますが、ギザ十です。 色でなくギザギザで十円玉と百円玉を識別した場合は、財布から取り出した後に、念のためギザ十でないかチェックするという処理が追加になります。

(たまには理系っぽい(?)こと書かないとね。)

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「イチロー 新記録を語る」

Posted by yatsu Mon, 18 Oct 2004 04:25:39 GMT

NHKスペシャルの「イチロー 新記録を語る」を見て思ったこと。

あれだけのフォームの改造を2ヶ月でやって、しかも結果を出してしまうのは凄すぎる。 スタンスを狭くするというフォームの修正は、僕も剣道で経験があり、それにはだいたい3年くらいかかったと思う。 剣道の場合、反動を使ったり予備動作をする時間的余裕がないため、体重移動から力強い初動を生み出すことが重要となる。 通常の立ち状態における安定感を多少犠牲にしても、スタンスを狭くした方が、動き出しが速くなり、相手にも動作の起こりが見えなくなる。 おそらく野球の場合、スタンスを狭くすることで、動作の開始を遅らせ、ギリギリまでボールを見極めることができるようになるのだろう、というのは素人である僕の予想。

それから、精神面。 「プレッシャーを払い退けることはできない、プレッシャーは背負っていくものだ」。 厳しい……。逃げ出したい……人生から

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物語化に抗して

Posted by yatsu Tue, 12 Oct 2004 04:58:10 GMT

物語化を素直に受け入れてはいけない。 そこには罠が仕掛けられている。

憲法改正議論において現れる物語。 曰く、「日本国憲法は他国から強制されたものだから改正しなければならない」。 憲法の内容を議論することよりも先に、憲法成立の物語を作っておいて、それをもとに批判をするのである。 「他国から強制された」はマイナスイメージであるから、それによって日本国憲法も良くないものであるかのように感じられる。 しかし「他国から強制された」ことと憲法評価のつながりは恣意的である。 ドイツは他国から強制された憲法としてのワイマール憲法をもっていたが、自国の独裁政権によって改悪された。 このドイツを例にとって、自国のみによる憲法改正はよくない、他国の干渉があったから日本国憲法は良いものになったのだ、という逆の物語を作ることも不可能ではない。 このような議論は、わかりやすいイメージを作り出すことによって人々を煽動するだけで、肝心な憲法内容の検討が抜け落ちてしまっている。 この例でいえば、憲法の内容議論だけがあればいいのであって、「他国から強制された」云々は人を混乱させるだけの余分なものでしかない。

「郵政民営化」とか「抵抗勢力」とか、全部悪しき物語化だ。 ただし、中には、内容議論を踏まえた示唆に富む物語も存在するということを、一応書いておく。

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テロリズムと非行

Posted by yatsu Mon, 11 Oct 2004 04:36:47 GMT

中沢新一氏は「圧倒的な非対称」をテロリズムの原因として捉える。 宮沢賢治の童話は、圧倒的非対称な立場におかれた動物の、人間に対するテロを扱っているのだという。 圧倒的な非対称によって、弱者の声が聞き入れられないため、テロが実行されるのだという視点はとても示唆に富み、重要であるけれど、それだけでは「自爆」までは説明できないと思う。

なぜ命を賭けなければならないのか? それは誇りを示さなければならないからだ。 ここでは宮沢賢治の童話よりも、もっと単純な「非行」として捉えるほうが適している。 プライドが高く、学校で能力を認められない少年は、非行に走る。 学業だけで人を評価する社会を批判するだけでは足りない。 自分の力を暴力的に示し、その力への誇りをもたなければならないのである。 そして、そのためには危険な行為も辞さない。

イスラームのテロリストがガキレベルだと言いたいのではない。 このような感情は人間であれば、当然もっているものなのだ。 テロリズムは否定されなければならない。 しかしこの暴力の連鎖で、批判されなければならないのは、むしろ西洋によるイスラームの扱い方だろう。 西洋が強力なメディアを利用して、愚者、悪者としてのイスラームのイメージを作りだし、圧倒的な軍事力、経済的を見せつけるほど、イスラームの人たちには、自分たちの誇りを過激な方法で示そうという欲求が強くなる。 その欲求をテロ組織が利用するのだ。 まずは、イスラームに対する正しい理解と報道がなされなければならない。

石川啄木のテロリスト観はロマンティックで魅力的だが、我々が目にしているほとんどのテロは、このように正当で崇高なものでないことに注意しなければならない。

われは知る、テロリストの
かなしき心を──
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を──
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。

はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。

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恋愛的なもの (2)

Posted by yatsu Wed, 06 Oct 2004 04:15:57 GMT

いい訳めいたことは書くべきでないかもしれないけれど、念のため。

僕はすべての好みを撤廃すべきとは考えていなくて、むしろある種の立場を選び取った人、サルトルやサイードに共感をもっている。 僕が恋愛的と感じるのは、サイードが批判したトクヴィル(アメリカにおけるインディアン、黒人奴隷の差別待遇を批判しながら、フランスのアルジェリア政策を容認した)やジョン・ステュアート・ミル(イングランドにおける民主主義的自由について優れた理念をいだいていたのに、それをインドには適用しなかった)のような知識人のあり方に近い。

批判なしに、ある立場、権力に荷担することが、愛としてなんとなく肯定されてしまうことが我慢ならないのだ(愛があれば、なんでもいいことのように感じられてしまう)。 FTAでいえば、お互いの国が仲良くしましょうね、仲がいいことはいいことでしょ的論調に強い違和感を感じる。

すべてを愛し、すべてを批判するという思考は現状に対抗するひとつの方法であり、これがすべてというわけではない。

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恋愛的なもの

Posted by yatsu Sat, 02 Oct 2004 03:00:16 GMT

恋愛的なものが嫌いである。 恋愛そのものも好きじゃないが、恋愛とぜんぜん関係ないはずのものが恋愛的であるのが嫌いである(でも恋愛小説は好きだ、悪いか!)。

たとえばFTA(自由貿易協定)というものは恋愛的ではないだろうか。 FTAを結んだとき、自国と相手国だけを考えれば、以前と比べて貿易は自由になったかもしれないが、特定の国だけ優遇されるわけだから、他の国は相対的に不自由になるわけだ。 貿易とは、これほどあからさまに差別的であっていいものだろうか。 少なくともそれに対する反省があってもいいのではないだろうか。 なぜFTAは無条件によいものだと考えられるのだろうか(メディアの論調はそのように感じられる)。

特定の誰かを愛するということは、他の人をその人よりも愛さないということで、根本的に差別的なのである。 これを僕は恋愛的と呼ぶ。 恋愛は人間にとって身近なものだから、つい考え方まで恋愛的になってしまうのだ。 これに対抗するのが、特定の個人を愛さずに人類一般を愛するという思想だ。 このような思想を僕は(なかば自嘲的に)独身者的なものと呼ぼう。

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難解な思想

Posted by yatsu Sun, 08 Aug 2004 04:54:19 GMT

思想家が難しく語るのはなぜか。

難しく語ることで自分を偉そうに見せている、という考えは間違っている。 じつは思想家にそんな余裕はない。 思想家が意識しているのは、一般人よりも、他の思想家である。 単純な思想は批判されやすいため、なるべく批判されないように、難しく語ってしまうのだ。

単純な思想は、その思想から抜け落ちたものを指摘するという、あら捜しができるだけでなく、批判する文脈があまり制限されないため、さまざまな種類の批判を構築できる余地がある。 だから単純な思想を提示するには勇気がいる。 サルトルは「アンガージュマン」という単純で元気がでる思想を提示したが、こてんぱんにやっつけられてしまった。

しかし、難解な思想しか出てこないと、人は単純な思想を求めるようになる。 「改革なくして成長なし」というようなわかりやすい言葉に、つい惹きつけられてしまうのだ。

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日本語文法

Posted by yatsu Thu, 22 Jul 2004 16:02:48 GMT

(note of vermilion: 日本語文法 より)

可能表現の「られる」は、「ら」抜きにすることで可能の表現を受身や尊敬の表現とはっきり区別することができるため、合理的であるとのこと。 「見れる」と書くと学校の先生とATOK(笑)に怒られますが。

大西巨人風「〜せられた」は、使役「se」+受身「rare」なのだろう。

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